【完全版】台湾の歴史をやさしくわかりやすく解説

台湾の歴史・政治と言えば皆さんはどのようなことを知っていますか?

台湾のニュースは日本のメディアでもよく取り上げられています。

最近では2021年4月の日米首脳共同声明で「台湾海峡の平和と安定」と台湾を明記したことで中国が反発したことが話題になりました。

また、アメリカが台湾に武器を輸出したこともニュースになっています。

しかし、これらのニュースは、台湾の歴史を知ると背景までよく理解できるようになります。

台湾の歴史や政治について考えるとなると、「そもそも台湾って国なの?」「台湾は中国とよく揉めてる気がするけどなぜ?」など色々な疑問を抱く人が多いのではないでしょうか。

そこで、今回の記事では複雑な台湾の現代までの歴史を徹底解説します!この記事を読めば台湾の歴史を知り、現在のニュースや世界情勢をより理解できるようになります!

日本、東アジア、そしてこの世界に生きる一員として、日本以外の国や地域の歴史も知っておくことは非常に重要なことです。現在の複雑な世界情勢は全て歴史が説明してくれるのですから。

それでは、台湾の歴史を17世紀から現在まで詳しく、分かりやすく解説していきます!

台湾の場所を地図で確認!

台湾の地図

台湾の歴史のお話に入る前に、台湾の場所を地図で確認しましょう。

画像の赤丸で囲んだ島、中国本土の対岸にある島が台湾です。日本から飛行機で3~4時間でいける、人気の海外旅行先でもあります。

では、本題の台湾の歴史について解説していきます!

19世紀まで

台湾の歴史の流れ

原住民がずっと住んでいた台湾に1624年、初めて外部の人々がやってきます。それはヨーロッパの勢力でした。ポルトガルが台湾を「発見」した後、オランダ(一部の地域はスペイン)が支配します。

この時、中国大陸(時代は明が衰退し、清が建国される過渡期)はあまり台湾に関心を示していませんでした。中央から遠く離れた僻地にすぎなかったのです。

1661年、鄭成功(ていせいこう)という人が中国大陸からやってきてオランダ勢力を追放し、台湾を支配します。当時、大陸では明が滅び清が支配を広げていました。滅びた明を復興させたかった鄭成功は反清活動の拠点として台湾を選んだのでした。

鄭成功:明の復興運動に活躍した武将。1661年にオランダ勢力を駆逐して台湾を占領した。

しかし、わずか22年後の1683年には清が鄭氏を降伏させ、台湾は清の支配下に入ります。それから約200年間はの支配下にありました。

日本の統治時代(1895-1945)

台湾の歴史の流れ

清の次に台湾を支配したのはなんと日本です。

1895年、日清戦争に勝利した日本が台湾の統治権を得たのです。以降約50年間、台湾は日本の支配下にありました。

当初、日本の統治に対する台湾住民の抵抗は強く、紛争で処刑されたり戦死したりした住民も多くいたそうです。

一方で、日本はこの支配を成功させるため、道路、鉄道、上下水道、電気、などのインフラの整備に力を入れました。

教育の普及にも力を入れ、台湾の人々の識字率は大きく向上しました。なお、このときの教育は日本語で行われました。今でも、この時代に教育を受けた台湾の高齢の方は日本語を話せるのです。

日本の支配は多くの犠牲者を出しましたが、台湾の近代化がされたという一面もあると考えられています。

第二次世界大戦の終結と中華民国の支配

台湾の歴史の流れ
蒋介石画像

1945年、日本が第二次世界大戦に敗北し、台湾の統治を放棄します。そして、当時中国本土にあった中華民国の支配下に入ります。(中国本土の歴史をおさらいすると、中華民国は1912年に成立し、清朝が滅んでいます。)

当時の中華民国では蒋介石(しょうかいせき)が率いる国民党が代表政権でした。中国本土から国民党の役人や兵士たちが台湾にやってきますが、その時台湾の人々は非常に驚いたといいます。

当時は本土より台湾の方が近代化が進んでいたのです。国民党の役人も兵士もほとんど読み書きができず、水道の蛇口から水が出たり電球が光ったりするのを見て驚くくらいでした。また、国民党の役人は腐敗しきっていて、略奪や乱暴な行為が横行しました。台湾の人々が驚いたというのは失望したの方の驚きだったのですね。

当時の様子を台湾の人々は「犬が去って豚が来た」と揶揄しました。犬は日本、豚は国民党のことです。犬は指示や命令が口うるさかったけど番犬にはなったが、豚はあらゆるものを食べて寝ているだけ、という皮肉が込められています。

国民党への不満がどんどん募り、1947年2月28日に抗議デモを起こします。それに対し、国民党政府は武力で鎮圧しました。これを「二・二八事件」と呼びます。

二・二八事件:1947年、台北を起点に発生した民衆の抗議やデモなどの事件。大陸から国民政府が援軍を送り、民衆の行動は弾圧され、戒厳令が布告された。

その後、本土からやってきた国民党の軍隊は住民の無差別虐殺を開始し、たったの2週間で約2万8000人が殺害されたとされています。(犠牲者の数はもっと多いという見方もあります。)このとき、台湾の指導者層や高学歴な人々を次々に処刑したため、台湾はその後長く国民党の支配下に置かれることになりました。台湾の未来を担う優秀な人々が皆殺されてしまったのです。

現在、台湾の人に親日家が比較的多いのはこのことが1つの理由と考えられます。普通でしたら、日本に植民地支配されていたのだから反日感情を抱きそうですが、日本のあとに来た国民党の統治があまりにひどかったため、「日本の統治の時の方がましだった」となるのです。

中国本土での内戦

毛沢東画像

この章では、現在の中国と台湾の関係の背景となる歴史に迫ります。

時は少し戻り第二次世界大戦中、中国本土の国民党共産党第二次国共合作で日本軍と戦っていました。国民党と共産党はもともと中国の支配を巡って対立していましたが、第二次世界大戦中は日本という共通の敵と戦うために協力していたのです。

1945年に日本が降伏し、翌年には国民党軍と共産党軍で内戦に突入します。共通の敵がいなくなり、再び中国の支配を巡る戦いとなったのです。

内戦は共産党が有利でした。腐敗しきっていた国民党軍は民衆の支持をどんどん失っていきます。また、共産主義圏を広げたいソ連が共産党軍に武器を援助したため、共産党軍は勢力を強めていきました。

ついに1949年、中華民国(国民党が代表政権)の首都南京が陥落します。共産党のリーダー毛沢東(もうたくとう)は北京を首都に中華人民共和国の成立を宣言しました。これが今の“中国”です。

毛沢東:中国共産党の指導者。1949~1959年に中華人民共和国の主席を務めた。

内戦に敗れた国民党はもう大陸にいられなくなり、台湾に逃れます。台北を臨時首都として、台湾で中華民国政府を維持したのです。このとき、国民党のリーダー蒋介石は台湾で体制を立て直して、もう一度共産党に反抗しようと計画していました。(結局それは実現しませんでした。)

蒋介石:中国国民党の指導者。共産党との内戦に敗れ、台湾に中華民国政府を樹立した。

こうして、本土に中華人民共和国、台湾に中華民国、と2つの中国が存在するような状態になったのです。

2つの中国の地図

国連からの追放

1950年代にも、「台湾解放」を目指す中国が国民党軍がいる島々を攻撃するなど、中国と台湾の戦いが起こります。台湾はアメリカの支持を得ながら、なんとか中国からの攻撃を阻みます。(アメリカは冷戦でソ連と対立していて、共産主義圏の拡大を食い止めたかったので、中国を牽制しました。)

これ以降、中華民国が支配する地域が現在の台湾という実態が確立します。

中華民国のリーダー蒋介石は、台湾の中でも共産党の勢力が拡大することを恐れていました。そのため、戒厳令(非常時に統治権の一部または全部を軍隊に委ねるという命令)を出し、共産主義者や知識人を摘発し、言論の自由は抑圧されました。軍事独裁の状態になったのです。

一方で、経済は大きく成長しました。政治に関与しなければ、経済活動は自由に行えるようにしたのです。

国民の民主的な政治参加を抑圧しつつ、独裁政権の指導で経済を発展させる手法を開発独裁といいます。

経済成長をとげた中華民国でしたが、ここで大きな試練がやってきます。それが国連からの追放でした。

もともと第二次世界大戦後に国際連合が発足したときは、中国本土を代表する国は中華民国でした。(中華人民共和国はまだできてません。)歴史の授業でも習ったかと思いますが、安全保障理事会の常任理事国5ヶ国にも入っていました。

中華民国政府が共産党に敗れて台湾に逃れ、中国本土には中華人民共和国が成立しても、国連の議席は中華民国が持ったままでした。

1971年、中華人民共和国での治安維持が進み、国としての体制も整ってきたということで、ついに国連では中華人民共和国を中国を代表する国家として承認することになりました。これを不服とした中華民国は国連を脱退します。

日本やアメリカも含む世界の各国は中華人民共和国(中国)と国交を結び、中華民国(台湾)を国としては認めなくなります。

それ以降、台湾は国際社会では中国の一地方として位置付けられることになりました。台湾と中国との関係の問題も中国の内政問題という位置付けです。

チャイニーズタイペイ旗

現在でも台湾は国際的には国としては認められていません。(台湾を国として認めているのは15ヶ国です。)そのため、国連やWHOのような国際機関に参加していないのです。また、オリンピックのような国際的なスポーツ大会では「チャイニーズタイペイ(Chinese Taipei)」という呼称で参加をしています。中国とは別枠ですが、台湾と名乗ることは認められていないのです。

冒頭で「そもそも台湾って国なの?」という疑問をあげましたが、それに明確に答えるのが難しい経緯はこの歴史から説明できます。

民主化へと進む

1975年、ずっと独裁政権を築いていた蒋介石が亡くなります。当時の副総統が残りの任期を務めたのち、次の総統には蒋介石の息子の蒋経国(しょうけいこく)が就任します。(総統とは台湾で国のトップを表す名称です。)

蒋介石と蒋経国
蒋介石(右側)と蒋経国(左側)

この蒋経国が台湾の民主化を進めます。野党の設立を認めたり、戒厳令を解除したり、報道の自由を認めたり、それまでの禁止事項を次々に解禁していきました。

1988年、蒋経国が亡くなり、副総統だった李登輝が総統に就任します。最近訃報のニュースがあり日本でも話題になった李登輝です。

李登輝画像
引用:https://www.president.gov.tw/Page/605

李登輝は初の台湾出身者の総統でした。これまでの総統の人は皆、中国本土から逃れてきた人たち、李登輝は台湾で生まれ育った人だったのです。大陸からやってきた中華民国政府がずっと台湾を支配していたことを考えると画期的なことでした。

李登輝は憲法に基づく政治を行い、民主化をさらに進めます。また、共産党との内戦状態に終結宣言をしました。つまり、共産党が大陸を支配するのを認め、大陸と台湾という「2つの中国」の並立を認めたことになりました。

1996年の総統選挙では直接選挙を導入します。それまでは、国民から選ばれた議員が総統を選出するという間接選挙だったのに対し、国民の投票によって直接総統が選ばれるようになったのです。これは台湾が完全に民主化されたことを示すものでした。

この直接選挙に対して中国は強く反発します。なぜなら、中華民国で「国民」の選挙でトップが選ばれる仕組みになると、中華民国は中華人民共和国とは別の「もう1つ国家」となり、「(台湾も含めて)中国は1つ」ということにならなくなってしまうからです。そこで中国はミサイルを撃って台湾を脅しましたが、結局、李登輝が再び総統に選ばれました。

ちなみに、李登輝が所属していた国民党の立場は「1つの中国」を目指すというものです。(もちろん、その1つの中国とは中華人民共和国ではなく、中華民国として本土と台湾が1つになるということです。)しかし、李登輝は先ほどの直接選挙の後、次第に独立への志向を強めていきました。

7.2000年代の台湾

2000年の選挙では、李登輝は立候補せず、代わって陳水扁(ちんすいへん)が次の総統になりました。陳水扁の所属はこれまでと違って国民党ではなく、野党の民進党でした。

民進党は台湾独立を掲げる政党です。つまり中華人民共和国とは全く別の”国”として独立することを目指す政党です。陳水扁は選挙時こそは台湾独立の主張をいったんしないで臨みましたが、次第に台湾独立の動きを強めていきました。(当然、「1つの中国」を目指す中国共産党は警戒しています。)

(このときの選挙では国民党勢力が分裂して陳水扁が勝ったのですが、李登輝が自分と同じ台湾独立派を次の総統にしたかったのでわざと民進党の陳水扁を勝たせたのではないかという説もあります。あくまで噂ですが、、)

陳水扁が2期8年を務めたのち、2008年の総統選挙では、国民党の馬英九(ばえいきゅう)が選ばれます。

陳水扁の政権時とはうってかわり、馬英九は中国との関係改善に取り組みました。「親中」路線を取った理由のうち最も大きい理由は台湾の経済力を維持するためです。

台湾はアジア四小龍(台湾、韓国、香港、シンガポール)の1つに数えられるなど、1960年代~1990年代に急速な工業化と経済発展を遂げていました。中国に負けない経済力があったのです。しかし、1990年代から中国が経済面でも軍事面でも急成長を遂げます。中国の力がとても強くなり、経済面で圧倒されるようになったのです。そこで、馬英九政権は台湾の経済力を保つために、中国と様々な協定を結ぶなど中国との関係を深めていくような政策をとりました。

「親中」路線をとった国民党でしたが、国の経済指標の数字は上がっても個々人の給料がなかなか上がらず経済成長が国民に実感されなかったり、中国との距離が近づいたことでかえって”台湾人”としてのアイデンティティが高まったりと様々な逆風が吹き、2016年の総統選挙では、民進党の蔡英文(さいえいぶん)が選ばれました。初の女性総統の誕生です。

蔡英文氏は2020年1月の総統選挙でも当選し、現在二期目を務めています。

先ほども書きましたが、民進党は台湾独立を掲げる政党です。2020年の総統選挙の際、北京で蔡英文氏が当選したことを伝えるテレビのニュースが遮断されたという報道もありました。

中国と台湾の関係の問題は現在も続いているのです。ざっくり分けると「親中」路線をとる国民党と「独立」を目指す民進党のどちらが政権を担うかに中国は神経を尖らせています。

おわりに

17世紀から現在までの台湾の歴史を解説しました。

歴史を知ることで、台湾の”今”と複雑な世界情勢の現地点への見方が少しでも変わったかと思います。

世界情勢は常に移り変わっています。日本では安倍首相が辞任し、新しく菅政権が発足しましたが、それは歴史のつながりの中で、様々な要因が絡み合い、歴史は前絵と絶えず進み続けています。

これからの日本はどうなるのか。次のアメリカ大統領は誰になるのか。日中関係や日韓関係はどう変わっていくのか。とても複雑な世の中ですが、歴史を学ぶことがその理解を助けてくれます。

歴史を学ぶことは過去を学ぶだけのことではありません。歴史を学ぶことで現在の問題を考えることができるようになるのです。

また、他にも哲学や心理学などの知ると面白い学問をわかりやすく発信してますので、他の記事もぜひ読んでみてください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。忌憚なきご意見、ご感想をいただければ幸いです。

参考文献

今回紹介した台湾と中国の関係の歴史も含めて、中国の現代史について詳しく、分かりやすく解説されているのでおすすめです!

そうだったのか! 中国 (集英社文庫) www.amazon.co.jp660円 (2020年09月26日 15:13時点 詳しくはこちら)Amazon.co.jpで購入する

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